斎藤公子さんと田中昌人さんの対談から(10か月頃)

(斎藤)乳児室にあんなひろい床とか外へつづく庭が
なんで必要かと言われるのですが、バランスと調整を十分していくうえでは
どうしても必要なのです。
いろんなものを近くや遠くにみて、
光や影を感じ、風通しをよくし、ものをとってあそんで
十分はえる広さ、むこうにもこちらにもなかまがいて、
先生やおもちゃがある。
(田中)床面をはってバランスと調整の力を十分つちかうのは
人生意において間脳・中脳から大脳へ制御が高次化していく
このときだけなんですから。
(斎藤)部屋でも、庭へおりるところでも、適当な
段差があります。そこで広さや高さを測るんですね。
とどくかなあ、という感じで。
だから、すぐとどく高さじゃなくて、とどくかなあ、
どうかなあって高さに測ってしつらえてあるのです。
自分の手で試せる距離・高さ・質・色そういうものを選んであるのです。
オモチャも選ぶし、床の質も選ぶのですよ。


(赤ちゃんのハイハイ板もひのきで。
赤ちゃんのハイハイする芝さえもこだわっていられたそうです。子どもには生きている草が必要。
芝も生きているその生きている芝を大切にし、子どもに与えることは「子どもを生かすための条件」
なのだから、保母はそういうところまで細かく気をつけてほしいと。(要約))

(田中)人間の発達において中枢神経がデリケートないわば接続をしているとき
それは外の世界のすばらしい息吹をとりいれていくときなのですから。
保育は自然と人間関係において発達的なういういしさを基本的に必要とするのでしょうね。